むしのね逸話


2006.04.29「虫は苦いものが嫌いか」

 みずみずしい黄緑色のフキノトウが、春の陽射しのかなで美味しそうに顔をだしている。「3日長生き」したかったので、1つ摘んで汁の実にした。ところで、この辺に自生しているのはアキタブキで雌雄異株であるから、雌株には雌花が雄株には雄花が咲くのはあたりまえだが「トウが立つのは雌株」とうい説明の図鑑がある。雄が立っては駄目なのかと錯覚するような記述はたぶん間違えで、雄花も花茎をある程度までのばすが、受粉が終わって用がなくなる頃には枯れてしまう。
 そこで「むしのね的」な疑問が湧いてくるのだが、フキノトウが苦いのは虫や人に食べられないための防御策に違いないわけで、それであれば短命でことたりる雄株の方が苦くない、という結論が短絡的に導かれる。花粉をたくさん作ることができる雄株が少なくなっても、子孫を直接育む雌株を守ることができれば、雄株としても「男冥利に尽きる」と言うものだが、実はそう簡単にはいかない。嫌われたくないので付け加えれば、灰汁が強いのは雌に限らないということだ。


2005.01.20「虫こぶが先生」

 昨年の6月に撮影した虫こぶの寄主植物がわからなくて、半年以上も放置された写真が、日の目を見ることになった。それは、虫こぶの図鑑の写真に写っている木葉の中に、同じ物を見つけたからだ。その虫こぶは、1〜2mの苗木の葉にできるため、植物図鑑に載っている成木の写真では、その木がキハダだとはわからなかった。
 キハダは大木になるので、地上近くに虫こぶを作る寄主植物にはむかないが、背が低い苗木に作るとは、虫もなかなかたいしたものだ。木に形成される虫こぶは、地上から約1〜3mに付いているものがおおいが、それは風雨や鳥などの害から身を守ることと、虫こふ形成昆虫があまりにも小さくて飛翔能力が劣るためだと考えられる。


2004.04.29「ヨモギもち」

 今年も、たくさんの餅をついて、嵐山ビジターセンターの開館式がおこなわれた。毎年数臼ついてから最後に蓬餅をつくが、それは1臼しかつかない蓬餅を最初につくと、はらぺこの胃袋にあっという間におさまって、全員にあたらなくなることに配慮してのことだ。それなら、ヨモギをたくさん採って、蓬餅をたくさんつけば良いのだが、日陰にはまだ雪が残る早春の旭川では、たくさん摘むほど出ていない。
 ところで、草餅になりそうなキク科の植物は、いろいろ有るんだけど、どうしてヨモギ餅はオオヨモギ(エゾヨモギ)が使われるんだろう。虫こぶの世界では、オオヨモギに虫こぶを作る虫が多いよう思ってので、ヨモギのゴミや根を取りながら、そんな話をしてみたけど誰も興味がないようで、もうすぐ食べられる蓬餅のために、ひたすら作業が続けられた。


2003.02.06「あまのじゃく」

 「これだと思いますよ」って、気を使って優しくいってくれてるのに、ものを尋ねておいて少し反論したい「あまのじゃく」は、オタマジャクシかシャクトリムシの仲間でしたか。「天の邪鬼」って、鬼さんだったんですね。「おおっ、恐!」


2002.09.16「ウスタビガのマユ」

 すっかり忘れていたけど、あのウスタビガのマユ、春の嵐山で拾った中に蛹が入っていそうなあのマユです。持ち帰って、物置の窓のところに置いてあったのですが、建物の補修工事のために荷物を出し入れしているうちに、すっかり忘れていた。工事には窓のところは関係ないので、あるはずなのですがどうなったでしょうね。
 内心、無い方が嬉しいのですが、恐いもの見たさも手伝って、夜中に懐中電灯を片手に、シャッターの音がしないように静かに開けて探してみた。自分の家の物置に入るのに、こそこそする必要はないけど、近所への気兼ねが先にたって抜き足差し足、何もそこまでやる必要はありません。懐中電灯の円錐形の光を追って窓のところを探しても、ウスタビガのマユは見つからなかった。


2002.04.06「ウスタビガのマユ」

 例年より2週間も早い春が、駆け足でやってきた。陽気にさそわれて嵐山にのぼると、昨年の初冬にウスタビガのマユの写真をとった近くに、脱殻になった繭が落ちている。さすがに絹織物だけあって、光沢も失われず丈夫である。指先で上の開口部を裂くと、中に蛹の殻がはいっている。いくら虫嫌いでも、蛹の殻だけなら素手で触ったり、のぞいて見るくらいは平気だ。
 いくつも落ちているので拾っているうちに、一つだけ少し重たくて、振ってみると中でこつこつとぶつかる感じがするものがあった。まずい、蛹が入っている。恐いもの見たさということもあるが、大きくて気持ち悪いものを連想して、開けてみる気にはなれない。羽化するまで瓶にでもいれて、飼ってみようと思うが、手で持っていて暖まったら動き出しそうな気もするし、つまずいた時に握りつぶしでもしたら大騒ぎである。


2001.11.08「カワヤナギハウラタマフシ」

 10月27日に採集したカワヤナギハウラタマフシを、瓶に入れて冷蔵庫に保管していたら、幼虫が1匹はい出している。越冬のために幼虫が抜け出して、中に入っていないと思っていたので、急に出てこられても心の準備というものがある。とりあえず、写真を撮ろうと思って幼虫を出そうとしたら、まさに虫酸がはしって手を引っ込めてしまった。何枚かクローズアップで撮っているうちに、慣れてきて可愛く見えてくるのが不思議である。
 冷蔵庫から暖かいところに出してしばらくすると、活性した幼虫は這いずりまわって、思うように写真が撮れない。そこで焼酎を呑ませることにした。呑ますといっても、密閉した容器に焼酎を一滴入れるだけで、気化したアルコールで幼虫は酔っ払ってしまう。ところが、この幼虫は酒好きなのか、焼酎のなかに頭を突っ込んでひっくり返ってしまった。写真撮影が終わって瓶の中の焼酎を拭き、ひっくり返った幼虫を冷蔵庫に入れておいたら、翌朝瓶の中で酔いから覚めた幼虫が、二日酔いなのか、もそもそと動いていた。やはり、ただの呑兵だったんだ。


2001.4.29「自然観察会」

 この山に何百種の植物、そして何千種の動物が生きているだろうか。熱心な参加者がおおく質問もおおい。もちろん、威厳と誇りみちた講師が知らないなんて言うわけがない。丁寧に説明してくれるが、それでも中にはもぞもぞと、自信なさそうな説明もあって、時には違うほうへ話題がそれてしまう。あげくに「勉強不足で」と、言い訳がましくなってくる。かつて「しらない」とか「わからない」ということを聞いた記憶がない。更に、自信がない時には「次回までに調べておきます」などといって、責任ある言葉をのこしてくれる。
 しかし、後に説明を聞いたでしょうか。いやもともと、そんな必要はないんです。どうぞ「しらない、わからない」と仰ってください。それよりも、参加者の意識の向上や配慮を望むべきで、ボランティアで引き受けてくれた先生は万能ではないのです。自然に興味をもって接し、ときには質問や教えを請うことは懸命なことだ。しかし、その内容が懸命かどうかは別なことだと思う。「図鑑や資料で簡単に調べられることは、自分で調べよう」